インタビュー:加藤泉
Nov 2018
今回は加藤さんにとって過去最大規模となる個展ですが、ただ過去の作品を発表するレトロスペクティブではありません。新しい作品シリーズがレッドブリック美術館の展示スペースにあわせて制作されました。東京と香港に暮らしている加藤さんは今回北京でのアーティスト・イン・レジデンスでどのように展開しましたか? 赤レンガからなるユニークな風情ある同館や庭園とあなたの作品がどんな対話を生み出しましたか?
石は北京郊外の石材店で沢山ある石の中から選びました。ぼくは石の作品をつくるときはいつも、石を見て絵を描いたときの完成のイメージがわくものを選びます。絵を描く行為も重要ですが、どの石を選ぶかということが、このシリーズではとても重要です。
そして、その後、美術館で展示場所を決定して、実際に石を設置してから現場で描いているため、その時は周りの環境に合わせて色などを選んで描いています。今回の作品は、とてもうまくいったと思います。
僕は東京、香港と環境を変えて制作をしていますが、制作行為としては、あまり環境や場所にとくに意識しないで普段どおり制作しています。
今回のRed Brick Art Museumでの滞在は雰囲気がよく、喧騒から離れた白鳥や猫がいて静かで自然に囲まれた環境での滞在制作はとても気持ちよく制作に打ち込めました。
加藤さんの作品における直感・感性が論理・知的よりも主導的で、強くて原始的生命力が溢れます。だから、私は「たぶん加藤さんはアートスクールに学んできたことすべてを捨てて、アウトサイダー・アーティストのように自分自身の方法を生み出した」を想像します。ところが、あなたは自分の作品制作を行う方法論は「アカデミック」と言いました。学生時代に武蔵野美術大学で具体的に何かを学ぶましたか。卒業のとき、即ちバブルの名残もあった1990年代前半のアートシーンはどうですか。これらの要因はあなたの創作にどのような影響を与えたのでしょうか?
大学で学ぶことは、ほとんどなくバンド活動をしていました。大学卒業後、自分ですごく絵を見たり、人に出会ったり、思考したりしながら独自にアート、そして絵画を描くことを追求してきました。僕は常に絵画をずっと考えながら制作しているので、絵画の歴史にも接続している「アカデミック」な作家といえます。
1990年代前半の日本はコマーシャルギャラリーがほとんどなく、若い作家は自分たちがアルバイトで貯めたお金でレンタルする、レンタルギャラリーで発表することが主流でした。美術館のキュレーターやコレクターに作品を見てもらえるチャンスがあったのです。しかし、お金をかせぐという発想がなく、職業としてアーティストになるというイメージはありませんでした。ただ制作して発表してみることが自分の作品を考える上でとても大切でした。
結果、ビジネスにならない分、より作品のことを考える時間がたっぷり持つことができたことは今思えばとても良いことでした。
生命体をモチーフとした加藤さんの作品における彫刻素材としてクス、石、珊瑚、皮革などは自ずから霊性を持つことですが、ソフビはガレージキットやポップカルチャーにつながる現代材料です。釘付けにされて、解剖されような形態を示して、他の材料は異なる「暴力性」があったながら、生き生きとした触覚的な存在感も持ちます。ソフビによる彫刻作品の制作過程をお教えてお願いします。
ソフビは僕が最初につくった原型を元に工場に依頼して、量産されたオリジナル製品(プロダクト)をつくります。その製品をさらに作品の素材として、ユニークなアート作品をつくっています。
つまり、ソフビ製品として量産することを利用し、オリジナルのアート作品をつくるという過程です。
また使いなれると飽きやすいので、コラージュ作品など常に新しい素材を挑戦したいと思っています。
先日の美術館対談で、加藤さんはペインティングと彫刻が本質的に異なるミディアムをとおっしゃっていました。しかし、あなたが近作における刺繍やコラージュなど技法を応用しながら、三次元空間の中で点・線・面を生成する感じがあります。そして、柔軟な半透明ソフビはあなたの絵画において生命体を覆っている膜みたいな輪郭と類同だと思います。あなたの近作で絵画と彫刻がお互いにマージする傾向がありますか?つまり、このコントラストを曖昧にしたのでしょうか。加藤さんは絵画が行き詰ったとき彫刻が補完すると言いました。具体的に言えば、彫刻は描画にどのようなことに役立ちますか。
そのとおり彫刻と絵は違うので、彫刻をすると絵のことを気づくし、絵を描くと彫刻のことを気づくことがあるので、最近はお互いが関係していると思います。
もともとは彫刻を始めたきっかけは、絵画に行き詰まっために始めましたが、今はお互い関係している中で作品をつくっています。
具体的に説明ができませんが、制作している中で両者に対して発見するものがあります。
「現実感」/「リアル感」は重要でしょうか?
手は道具として使っているだけで、もっといい道具があれば、それを使いたいと思っています。
「現実感」「リアル感」は関係なく、あくまでも絵を描く道具としてとらえています。
今回のファブリック作品シリーズ《Untitled》は加藤さんにとって新たな出発点でしょうか。現場から見れば、参観者はロープで展示スペースと仕切られます。元々は参観者が12作品の間を自由に歩くことが可能で、交流(インタラクション)を生み出したいことを推測します。そうですか?
そうです。来館者が多かったりすると触られる可能性があるため、作品の安全を配慮してロープをしていますが、本来のコンセプトは背面も描いていて、人が自由に作品の中を歩きながらいろんな角度から、12作品のファブリック作品を鑑賞し、人と作品がインタラクションすることをイメージしました。
また、おっしゃるとおり、今回のファブリック作品シリーズは新たな出発点といえます。
今回、今までの個展では経験しなかった巨大な展示スペースでのインスタレーションを考えていた中で想起しました。
この巨大な空間に人とファブリック作品とのスケールの違いが不思議な世界観をつくり、また絵画とも彫刻ともいえるような不可思議な作品を創作ことができました。
今回、特に美術館の展示室2で神殿・祭祀場のような雰囲気を感じます。島根県に生まれた加藤さんは幼い頃に見た古墳内の絵や島根県の宗教伝統から影響を受けましたが、作品は日本のみならず国際的にも注目を集めて高く評価されています。「神秘な古代日本(非西洋・異なる文化)を想像したイメージを描くこと」は国際的に注目されているの理由の一つで、それは可能ですか?
僕にとってはオリジナリティが大切で、常に自分しかできないものを日々作ろうと思っています。
自分では意識していませんでしたが、オリジナリティを追求していくと、自然に生まれ育った環境や風土、価値観が結果的に表現に影響されていると思います。
日本だけで活動していたときは、古代文化のある島根県で生まれ育ったことを特別に感じたこともないし、まわりからも特に指摘されませんでした。近年、海外で活動するようになって、いろいろな国の方からのインタビューで同じ質問を受けて答えていく(必ずどういう環境で育ったかを最初に聞かれます)うちに、客観的に島根県で育った環境の特異性に気づき、何かしら自分の作品にも反映されているのかもしれないと思うようになりました。しかし基本的にはそれを意識して制作したことはありません。
ただ、自分の作品は何に対して評価されているのかわかりません。そこは僕の手に負えないことで、特段、そのことが要因かどうかは考えたことはありません。